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10月25日(水)筒美京平が惚れ込んだハスキーボイスが、下町の粋と情緒にシンクロする浅草・吉原と東京のうたの会

 10/25(水)の「東京のうた」の舞台は、浅草・吉原の「モアレホテル ヨシワラ」。かつての遊郭の盛り場・吉原の、正に赤線地帯だった千束4丁目に昨年オープンしたデザイナーズ・ホテルである。

今回のような目的がなければ、まず、夜一人で来るようなことはなかった町、吉原。昔ながらの喫茶店、歴史ある天麩羅屋、ラブホテル等々が並ぶ夜の吉原を、ナビを頼りに一人歩くだけでも東京のラビリンスにいるよう。会場に到着するまでの初めての駅、道、風景、街、町を体感するのも、この「東京のうた」シリーズの大きな醍醐味である。


 さて、まったく土地勘のないまま、恐る恐る入った暗い路地に忽然と現れたモアレホテル。白を基調にした近未来感もある1階バーが今宵のライブの場。なんと出演者は、あの、70年代アーバン歌謡曲のレジェンド、平山みきである。


空間はこじんまりとしながらも、生平山みきを、しかも吉原のホテルバーで見るという事実に華やぐ人たちで満杯。定刻とともに主催者・湯山玲子が「東京のうた」のコンセプトを話すなか、新宿某所の説明で出てきた「金大中事件」のワードに、“ほほうー”と一斉がうなずくアダルトな客層。つまり、若かりし頃、リアルタイムで平山に憧れた世代が主流だ。湯山自身も、今回の人選は「まず、単に私がファンだったから」。ハスキーで鼻にかかった唯一無二の声で、昭和40年代にして「少女でも母でもない成人の自立した女を想起させた歌手。遊びのイニシアチヴをとる女性の到来を予見していた」と、その存在を讃え、会場中が同意の空気。きっと、遊びの場所が青山でも渋谷でも代官山でもなかっただろう平山の世代に、かつての遊びのメッカだった「吉原との化学反応を期待」とも。そして、いよいよ平山の登場である。


 トレードマークのイエロー上下ミニスカートも華やかに現れたのは、(当たり前だが)紛れもなく平山みき本人。レトロフューチャーな白い内装に映える至近距離のオーラ。“わ……!”と客席全員のため息がひとつになるような歓声がとぶ。今回歌う「東京のうた」について、都会の歌詞が多い自分の歌以外は「ご愛嬌だと思ってください」と、まずは1曲目。’73年リリースの「恋のダウン・タウン」。 “甘えたつもりでハハハン”と、土曜の夜、恋人に別れを切り出す、あの聴き慣れたドライで甘い声はやはり紛れもなく平山みき。2曲目は’75年の名曲「真夜中のエンジェル・ベイビー」。無理して夜遊びする女の子を“ウブなあなたじゃ無理ね”と見抜く先輩お姉さんの歌。いずれも夜の六本木、原宿あたりを舞台に、湯山言うところの「遊びのイニシアチヴをとる女」のドライでビターな橋本淳の歌詞、そしてグルーヴィーな筒美京平の作曲が文句なくかっこいい。しかもこの日、「実は風邪気味で調子が悪い」(曰く、「でも、鼻声でも誰もわからないわよね(笑)」)ながら、衰えぬ歌声、生声の強さは、そのオーラも含めてキャリアの凄みそのものだ。


 自身の歌が続いたあとは、今回のために選んだ「東京のうた」に。まずは、グルーヴィーな流れのまま、笠置シヅ子のおなじみ「東京ブギウギ」を、そして、今は亡き遠藤賢司と平山の隠れた名デュエット曲「哀愁の東京タワー」、すぎもとまさとの「銀座のトンビ」を歌唱。奇しくも遠藤賢司の命日でもあったこの日、「哀愁の〜」は、「本人から一緒に歌ってくれと頼まれた」という、平山がめすらしくファルセットを聴かせるムード歌謡のオマージュ曲。「声が低いから歌えるはず」と、今日はエンケンを偲んで両パートを違和感なくしっとり歌い上げる。「銀座の〜」は平山の友達だった作詞家の故・ちあき哲也が生前、作曲家のすぎもとに託した歌。ちあきの歌詞を歌うことなく還らぬ人になったことを、「彼の歌を歌えばよかったと後悔している」と。“あと何年、俺は生き残れる 女にチヤホヤしてもらえる”と、銀座の街であとどれだけ遊べるのか案ずる歌詞と相反するアップテンポの曲調。平山ならではの都会のブルージーな世界観にマッチし、胸を打つ。


 さて、歌のステージは早くも残すところ2曲。巨匠・筒美京平が生前、平山のために残し、’21年にリリースされた「ジャズ伯母さん」を披露。ボサノバの曲調に始まり、三軒茶屋を舞台に“お隣りさんに恵まれているの”という橋本淳の歌詞が秀逸。そして、ラストは「私の歌を1曲だけでも知ってる人も、これを知らなければモグリです」と、待ってましたっ、の「真夏の出来事」。会場中が笑顔とトキメキのなか、あの心地よいリズムとハーモニーのイントロが流れ、始まった歌声の “カ、レ、ノ、クルマニ、ノッテ”。あああ、どう転んでも、まったくもって、紛れもなく平山みき。リアルタイム世代、地方から駆けつけたというコアファン、散見された若い世代も一体となり、多幸感と大喝采のなか大団円となった。


 そして、さらに興味深かったのが、ステージ後の湯山ナビゲートによるトーク。デートに車が不可避だった時代、ドライブから見える風景の平山の歌を、湯山が開口一番「新車感」と言い得て妙のコメント。併せてその歌唱を「重たくないし、自由」と伝えると、平山は「私はコブシをまわせないし、歌を伸ばすのが疲れると切るんですね」と、誰の指導もなく、銀座のジャズ喫茶で歌い始めたときから歌唱法は変わっていないことを明かす。なるほど、だから“カ、レ、ノ”なのだ。

現在は京都在住も、生まれ育ちは蒲田の東京人。父親は警察官で家も厳しく、なのに外見的に小学(!)の頃から不良と見られ、誤解を受け続けてきたと。本人自身は、芸能界に入っても「タバコもお酒も一切やらないし、家にすぐ帰る」という真面目な生活ぶり。「でも、筒美先生は私の奥にある、遊ぶイメージを見たんでしょう」(平山)。だからこそ、名曲の数々も生まれた。湯山の「歌詞に入り込むタイプか?」の問いに、「入り込まないし、意識しない。言葉も音として捉えている」し、歌詞のフレーズより「リズムですね。リズムは平気な人」。そんな平山を「筒美先生も橋本先生もわかってくれていたし、何も言わなかった」。話を聞けば聞くほど、クールで乾いた平山の平山たる歌唱の所以が紐解かれ、膝を打ちすぎて、もはや痛い。ただし、最近は「自分の歌で泣きたいと思うようになった。声の出し方も(一緒に演奏している)音で変わるようになって、ジャズのアレンジに声でたたかうのが面白い。歌は深いですね」と、歳を重ねたからこそのスキルの幅と新たな境地で締めた。もう、平山先輩! と呼んでいいですか?


 誰にプロデュースされたわけでもなく、あの歌唱は平山自身から出てきたもの。ベタつかず、淡々と自分のスタイルを獲得した、実は希少な都会の女性。そんな女性の歌に男性の性の天地だった、ここ吉原の地で感銘したのは何か意味があったことかもしれない。などと、頭を巡らせながらも今は深追いせず、帰りは既に二度目の吉原の夜道を歩きながら、「今度はあの天麩羅屋に行こうかな」などと、画策している自分がいるのだった。


text by 吉岡洋美 Hiromi Yoshioka

 

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