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11月1日(水)東京のうた 春駒×ニューはる

 9月にスタートした特殊音楽会「東京のうた」も11月に突入、ついに残すところ3公演。何ごとも終わり際にただならぬ旨みが凝縮するように、ここからのヴェニューは主宰の湯山が本企画の“場×うた×歌手”の成立を「確信した」、夜の東京秘境3トップ、魅惑の真打ち登場である。その1つ目、今夜の街は「赤坂」だ。


 昭和30年代にナイトクラブが隆盛を極め、永田町は目と鼻の先、TV局が立地し、バブル期は赤坂プリンスに「Xマスになれば男女が押し寄せる」(湯山)。そんな男と女、業界、政財界の夜の“人間交差点”の街。この地に、1974年のオープンから約50年続く老舗バー「ニューはる」こそ今回のライブ会場。ゲイボーイの重鎮、御歳81の春駒ママのお店である。ママのお人柄、接客のプロとして磨かれ抜いた人脈で、ここ赤坂の“人間交差点”を歴史ごと吸い寄せてきたかのバー。「日本橋生まれ、赤坂育ちで実家も赤坂」と言う生粋の赤坂人、春駒ママが、見つめ、接してきたキラ星の交友録、ママ自身の歴史を聞きながら、「美空ひばりと越路吹雪に薫陶を受けた」というノドを自店のカラオケで披露いただく一夜。はじまり、はじまり、である。


 夜8時前の赤坂。歩きながら会話がいつの間にか打ち合わせになってしまうテレビマン風の男性たちや、立ち食いそば屋でこの時間に蕎麦をかき込むスーツ姿等々、仕事も遊びも赤坂の夜はこれから、の時間帯。その、とある路地を曲がった年季の入ったビルの2階奥に、白地に品よく黒文字で「ニューはる」と書かれた小さな看板が。おずおずと中に入ると20人も入れば満杯のソファー席にカウンター。まがまがしい店内を勝手に想像していたら、どこか気さくで居心地よさそうな店内に何だかほっとする。とは言え、入るなりカウンター脇に立ち並ぶ男根オブジェ(湯山曰く「同祖神」、ママ曰く「チン列」)、その奥にフクロウの剥製と、さりげないクセの強さに、さらになんだか納得してしまう。


 さて、時間はスタート定刻。店内8割型女性で全シートが埋まるなか、湯山が春駒ママを紹介。昭和35年のゲイバーの黎明期、かの銀座の「青江」で青江のママの下、修行を重ね、同期はカルーセル麻紀、年齢を告げられると、客席中から「見えないー!」の声、声。なんせ、お顔のたるみなく、肌ツヤも姿勢もお綺麗な現役感に、艶やかな短髪、パープルのラメも素敵なスタンドカラーのドレッシーなトップスに黒のパンツという出で立ち。「昔のゲイは女装しないんです。女装するのはオカマ。私たちは“ゲイボーイ”というプライドがあります」と、ご自身の立ち位置をキリッと教示。お店の歴代常連を軽くさか上るだけでも、「(先代の)歌右衛門、團十郎、美空ひばり、勝新、裕二郎、長嶋茂雄……」初っ端からこぼれ落ちるほどの歴史的レジェンドの名前。なんでも、先ほどまでは某超大御所女性歌手が来店してたという。


 そんなママの東京の歌一曲目は、'77年のポップス演歌のニクい選曲、森進一の「東京物語」。都会で肩を寄せ合うよう暮らす男女の歌を、森本人から「歌い方を教わった」と、声量豊かに通る声で披露。続いて2曲目は「私の親友の関口宏さんの奥様、西田佐知子さんの歌を」と、やはりこの歌がないと始まらない「赤坂の夜は更けて」。おそらく、これまで数えきれないほどこの歌を歌ってきたと思われる、なめらかな声。ここ赤坂のレジェンド・バーで、赤坂が地元のレジェンド・ママの歌で聴くという、なんとも乙なことよ。


 歌のあと、話は春駒ママが子どもの頃の赤坂の話題から。「昔は人力車も走る花柳界の街。芸者のお姉様方がたくさん歩いてらして、料亭も100軒、芸者さんも400人ぐらいいましたね。子どものときは芸者さんを乗せた人力車に“お姉さん、行ってらっしゃい”って、声をかけたもの。今は料亭もたった2軒、芸者のお姉さんも15人ぐらいだけど、それでも、まだ現役の方がいらっしゃる」。昭和の“赤坂の料亭”と聞けば、政治の暗躍の舞台をつい連想するが、暗躍はさておき、ニューはるも「赤坂は国会が近いので議員の先生方もこのお店に随分お見えになった」と。が、それは昔話にあらず、「先週も現役大臣がズラリと訪れた」ばかりか、さる、やんごとなきお方も「この間、お見えになったばかり」。湯山が’80年代、「徹夜仕事の合間に赤坂で焼肉を食べた」と話せば、その頃から韓国パワーが赤坂を席巻しはじめたと応じ、“韓国といえば”と、「お店に金大中大統領がお見えになって」。……やんごとなきお方に、海外の要人? 想像の斜め上をいく客筋に、客席中の頭の中が「!??」となっている間に、「皆さま、フランク・シナトラさんご存知?」と、ご来店の海外スターを列挙。シナトラ、アラン・ドロン、サミー・デイビスJr.、トム・ジョーンズ、ハリソン・フォード、ダイアナ・ロス……えええ?? このソファーにシナトラやダイアナ・ロスも?? しかし、ママはドヤ顔するわけでもなく「私、ダイアナ・ロスさんと『If we hold on together』を一緒に歌っちゃいました。冷や汗かきましたけど」。さすがの湯山も「マジでー!?」と絶叫。

 ママの「そういえば、」で続く話の錚々たる固有名詞の数々と、どうしても目に入る同祖神のチン列を前に頭が追いつかずも、ニッコリと「そういうお店でございます」と一言。


 それにしても、先ほどからはっとするような綺麗な敬語でお話になる、ママの軽妙+ディープな人脈話。すでに店内中がそのトークに吸い寄せられるなか、次の歌は、越路吹雪の「愛の讃歌」を。なんでも昭和30年代、ゲイボーイの世界では越路派、(美空)ひばり派と人気が二分され、当時「ひばりと名乗るオカマはゴマンといた」と。お二人ともに可愛がられたという春駒ママは、「直接、歌を教えていただいた」という越路仕込みのノドで披露。伸びやかな声量に情感豊かな低音のビブラート。ヤマ場とともにマイクを下げるさばき方。人生を歌に託す、まさにシャンソン。「素敵!」と思わず客席から声が飛ぶ。歌い終わった春駒ママに「まるでコーちゃんが降り立ったような」と湯山も聴き惚れる。「いえいえ、恐れ多くも」と、謙遜しながら、話は越路の思い出に。「すごくシャイな方で、楽屋にあまり人を通さなかった」越路に、楽屋訪問を許されていたママ。このお店には越路を支え続けた岩谷時子と越路の夫、作曲家の内藤法美といつも3人で遊びに来ていたという。

「本番前の楽屋ではつけまつ毛も付けられないほど手が震えてて、煙草も吸っては消しての繰り返し。でも、出番直前、舞台袖で岩谷先生が “虎”“力”“命”とか、その日によって漢字一字を背中に指で書いて『コーちゃん、はいっ!』と背中を押すと、とたんに越路吹雪になる。お酒も煙草も大好きな方で、普通、歌う人は煙草吸わない、お酒は飲まない、なんて言うでしょ? 全然そんなの関係ない。吸いたいものを吸って、飲みたいものを飲むのよ、って仰ってた、そんな方でしたね」 


 続いて、湯山に「どうぞ十八番を」と促され、早くもラストソング。越路のあとは、やはり「お嬢」こと美空ひばりを。美空の最期の歌となった「川の流れるように」をチョイス。しみじみと語りかけるように、かつ力強く歌う春駒ママ。低音の響く声、伸びの素晴らしさは、正に太くろうろうと流れる川のよう。美空は、かの3人娘時代には、既に雪村いづみ、江利チエミともにお店の常連客。それどころか、春駒ママがこのお店を始める前の昭和30年代、溜池のナイトクラブ、エル・モロッコのママに就任(あのハマコー氏に懇願されという!)した開店日に駆けつけ、「皆さん、今日からこのお店は春駒ママなんだからね。私、気分がいいから歌うわ」とアカペラで2曲披露してくれたという。歌の途中、そんな生前の姿が去来したかのように涙ぐむ場面も。湯山の「ひばりさんは、今思えば52歳でお亡くなりになって。早かったですよね」の言葉に、「お嬢の場合、全部生きているうちにやり尽くしたので、これ以上ひばりさんに苦労をかけちゃいけないって、神様がパッと天国にお連れになったんじゃないかと。そう理解しないと納得できないんですよね。とても優しくて大好きでした」と、深い絆ならではの数々のエピソードとともに、愛情深く懐かしんだ。


 さて、今シリーズのテーマでもある「東京」。湯山の「どういう街だと思いますか?」の問いに「どなたでも受け入れやすいけれど、(地方から)入ってくる方が“東京”にコンプレックスを抱いて田舎に帰る方も多い。東京なんて人種の坩堝。私はたまたま東京生まれ・東京育ちで田舎がないというだけ」と。そこには単身上京してくる、同じゲイボーイを目の当たりにし続けた思いも滲み出る。実は春駒ママは、家族に自身の性を理解してもらっていた、当時にして珍しいゲイボーイだった。

 カミングアウトしたのは、大学時代(日芸出身! ママ曰く「日ゲイよ」)。「母は“アンタがいいならいいんじゃない? 自分一人で生きてればいいわけだし。その代わり、絶対家族に迷惑だけはかけないでね”って。皆、田舎から出てきて親兄弟と離れてゲイボーイになっているのに、私は公然でしたから」。赤坂のご実家はお母様の代から花柳界。春駒ママが水商売の道に入ったのも自然な流れで、18歳で「青江」のゲイバーでデビュー。「だから、青江のお母さんも『珍しいんだよ、この子は。実家からここに通ってるんだよ』って(笑)」


 移り変わる赤坂。今はなき赤坂プリンスあとの某所も「行きたくないの。夢が壊れるし、嫌なの。ナイトクラブも今は全部なくなってしまったし」と。

 かの赤坂ニューラテンクォーターで力道山が刺されたとき、坂本スミ子、淡路恵子と現場で「血がポトポト垂れたままのリキさん」を目撃し、赤坂の伝説のディスコ、ムゲン、ビブロスの話題から、あの野獣会メンバーと「ナベプロのミサママ(渡辺美佐)の家に集まっては、ゴロ寝した」話、24歳で銀座のクラブ(ゲイバーにあらず!)のママに抜擢され、「“銀座最年少ママ現る。24歳(男)”って業界新聞に書かれました(笑)」というそのお店こそ、吹雪ジュン、五十嵐淳子、安西マリアたちを輩出した伝説のクラブ“徳大寺”だったこと、「美輪(明宏)のお姉ちゃん」から食事に誘われた先に同席していた三島由紀夫のナルシストぶり等々等々……この1時間、歌の合間合間に何気なく話されるママのエピソードは、ことごとくも夜の昭和史、伝説の舞台ばかり。まさしく湯山言うところの「逸話の宝庫」。


 国内外、ジャンル問わず歴史的大物レジェンドたちが吸い寄せられ、また、この日、お店の常連客という若い世代にも慕われ楽しそうに接客するママ。「ちょっとお付き合いした代議士の先生が3人総理大臣に」という衝撃話も(「超あげチン!?」(湯山)、「いえ、カマあげ」(春駒ママ))、もはや納得してしまう、とんでもないキャパシティの深さ、広さ。「このお店、一応パワースポットみたいになってるんです」と言うママ自体がパワースポットなのは明らか。いやあ、東京には本当に凄い人物がいるものだ。なんという濃密ぶり。「一晩では語り尽くせないので、続きはまた、ご来店のときに」(春駒ママ)


text by 吉岡洋美 Hiromi Yoshioka

 

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